河内屋社長ブログ蒲鉾丹右衛門の徒然なるままに…

2011.10.06

ありがとうジョブズ!

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2011年10月6日LC520.jpg

アップル創業者のスティーブ・ジョブズが死去したニュースは衝撃でした。今日は色々なニュースで詳しく報道していましたね。まだ56歳という年齢を考えると若過ぎます。もう少しジョブズの世界観を楽しみたいと思っていたので本当にショックです。今日は世界中からそんな嘆きが聞こえるような一日でした。思えば僕がマックと出会ったのは比較的遅くて1994年の事です。知り合いの持っているマッキントッシュを見て、猛烈に欲しくなり蒲鉾女将に頼み込んで買った記憶があります。まだ蒲鉾太郎も生まれていなくて、僕のプライベートPCとして買いました。ちなみに前年の1993年に太平洋側から日本海側の魚津に移り住んで、早朝から蒲鉾作りの修業の為に工場で働いていた頃です。飲みに行く友人どころか、全く話す友人が魚津にいなくて、ちょっと寂しい思いをしていた頃でもあり、ちょっと元気がなかった時期でもあります。おそらく蒲鉾女将もそんな状況を感じていたのか、このLC520を買う事に同意してくれたものと思っています。当時は主にゲームが中心でしたが、マック専用のソフトのコピーなどをもらったりして楽しんだものです。僕にとって革命的だったのは、LC520を手にした翌年の1995年春にモデムを接続してダイヤルアップでネットに接続した事でした。その頃はインターネットに関する本や資料が乏しく、苦労しながら試行錯誤で接続した思い出があります。まだ日本語のホームページもNTTや首相官邸みたいなページしかなく、訳も分からず米国の色々なサイトを見ていました。もちろん怪しいサイトも覗いたりもしていましたが、とにかく当時としては地方に引っ越して来て情報も無くて自分の中で閉そく感があった時だけに世界と瞬時につながるインターネットは革新的でした。パソコン通信は嫌いでしたが、メールは便利だと思ったものです。特にネット環境を快適に使う為にマックのGUIはとっても便利で、マウスを使っての操作が非常に新鮮でした。そういう意味ではネットの世界をいち早く実現できたのはマックを使っていたからだと思います。その後、ウィンドウズ95が発表され、会社で使うPCはウィンドウズにシフトして行き、マックとは疎遠になってしまいました。iMacが発売された時はプライベートで欲しいと思ったのですが、その時は蒲鉾女将の同意が得られず縁が無かったのですが、その後iPod、iPhone、iPadなどリンゴマークの商品を好きで愛用して現在に至ります。僕の場合、熱狂的なアップルファンという訳では無いですが、アップルの製品や次の動向が気になるファンであった事は間違いありません。ソフトバンクの孫さんが「数百年後の人々は、彼とレオナルド・ダビンチを並び称することであろう。彼の偉業は永遠に輝き続ける。」と言うのも無理はありません。僕のようなPC嫌いをPC好きにしてくれた事には本当に感謝をしたいです。ジョブズの死はIT業界やネット業界、あるいはアップル自体の経営に大きな影響が出るのかどうか分かりませんが、とにかくワクワク感が無くなったのは事実ですよね・・・。それにしても残念なニュースでした。ご冥福をお祈りしたいと思います。