河内屋社長ブログ蒲鉾丹右衛門の徒然なるままに…

2012.06.01

女川町で徒然なるままに…

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2012年5月31日高政1.jpg
 今回の全蒲青役員会の視察はかなりのボリュームで、ブログで記録しておきたい事が山ほどあります。1回の投稿では無理なので、何回かに分けてブログアップをしたいと思います。
 まずは震災直後に「命をつなぐかまぼこ」として全国報道され、知っている方もたくさんいると思いますが、壊滅的な津波被害を受けた女川町で奇跡的に難を逃れた高政さんを訪問しました。
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高政さんでは笹かまや揚げ物の他に、原魚からすり身を製造するプラントを持っていてこの日も冷凍すり身を製造していました。魚種に関しても色々と豊富で、型はかなり小さいものでしたが前浜から安定的に入って来るとの事でした。気になる放射線の影響ですが、毎日検査をしていて問題が出た事は全く無いとの事でした。
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今回の視察の一番の目的であった高政さんの新工場の方は噂通りの素晴らしいものでした。この工場は震災前から着工しており、大地震を耐え抜き、そして震災後の最悪の環境の中で当初の予定より3か月遅れで竣工した工場です。高橋社長の苦労は言葉では言い表せないほどのものだと思いました。この工場の特徴はオール電化工場という事で、僕もその点に注目していました。原発問題、電力不足の環境で当初の環境とは思惑が違うかもしれませんが、その他にも様々な環境に配慮した工場であり色々と勉強になり思う事もたくさんありました。
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生産ラインの中を見学する事は出来ませんでしたが、外部からの工場見学にもしっかり対応できるように設計されており、売店の設えを含めて全てに感心しました。ちなみに写真撮影は高政さんの許可を得ています。
 新工場だけを見ているとここが被災地である事を忘れてしまいますが、実は女川町は町の約8割が被災して、津波の難を逃れた2割もほとんどが住宅地、40数社あった水産会社は津波で丸ごと流され壊滅的な被害を受けた町です。家も仕事も生活も一瞬にして無くなってしまった地域で、高政さんでは地元の雇用を守る、女川を復興させる!という強い想いで仕事を頑張っていました。
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 女川町の現在の状況を案内してもらいましたが、あまりにも被害が大きい事、そして復興があまり進んでいない事に言葉を失いました。上の写真の左の小高い丘の上に地域医療センターがあるのですが、その場所の1階ですら津波の被害を受けた訳ですから、女川漁港を中心に賑わっていた水産の街が一気に津波にやられたという事が分かります。少し標高の高い所に建っている住宅が無傷で残っている場所が町全体の2割という場所なんでしょう。
2012年5月31日女川町2.jpg
上の写真は丘の上に建つ地域医療センターの駐車場から撮影しました。この場所で僕の身長より高い場所まで津波が押し寄せたという話は、はるか下にある穏やかな海を見ながらなかなか理解できませんでした。この倒れてしまった3階建てか4階建ての建物は津波の記憶を忘れないという事で残されるそうです。
 津波被害の恐ろしさを肌で感じましたが、このような環境の中で同業の仲間が頑張っている姿に感動したというか、励まさられたというか、色々な想いが交錯する時間でした。女川町がどんな姿で復活して行くのかは今は想像も出来ませんが、いつか復活した元気な姿を見に来たいと思います。
 色々と大変な中、対応して頂いた高政さん、ありがとうございました!
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